東部レイダースに愛をこめて①

 

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死ぬほど楽しかった。


おはこんばんにちわ
平成から令和元号が変わり一つの時代の終わりました。
本来、元号の変わり目というのは天皇陛下崩御されてからですので、上皇陛下が象徴としての役割を全うすることができないと判断された見事な引き際だと思います。
これにより、元来葬式ムードだった元号の変わり目はポップでポジティブなものになりました。(まぁ俺平成生まれだから、昭和天皇崩御の時の様子なんて知らんけどな)
潔く引くことの美しさを上皇には見せていただいた気がします。長年お疲れさまでした。

さて、元号が変わった事によりゴールデンウィークが怒涛の10連休ととんでもない休みがありましたが、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか?
私は、部活の指導で7連勤でしたw
選手がふがいなければ怒鳴り発狂し、笛に不満のあるものがあれば睨みつけ、オフィシャルが下手ならば嫌味を言う。そんなバスケ指導者にはなりたくなかったなぁw
とまあ、性根が腐った宮沢賢治みたいな生活を送ったわけです(嘘です。ちゃんとやりました。)
バスケのコーチをやっていてふがいない試合を子供たちにさせてしまうと、本当に落ち込んで自分の力のなさを痛感します。
落ち込んでいるときは、ふと誰かに会いたくなりますよね、私が思ったのは
「はぁ・・・勢耶(東部レイダース)に会いたい。」
この時点で完全に病んでる。
勢耶は良いやつなので二つ返事でその日飲むことが決まり、宿も提供してくれました。

小田島勢耶、東部レイダースの鉄砲玉として岩手で名をはせている彼ですが、ピュアで真面目で頭がおかしいやつというイメージです、俺の中では。
今シーズンは1番をつけチームの先頭を走っていました。レイダースグループの練習だけでは飽き足らず我々ベッチョリグループの練習まで参加しに来る練習の鬼で彼のおかげで自分もモチベーションを高く保つことができた今シーズンでした。

その勢耶との飲み会は、互いの近況報告から始まり必然的に雪合戦の話で、お酒が進みました。(ハイボール魔人になりましたよ、私は。)
東部レイダースが昭和新山で優勝した時に彼は、ベンチメンバーで通算3年ベンチを温めていたようです(練習では、常にAやBに入っていたのでこんなうめぇやつベンチに置くな、うちのチームに来い!と思っていました。)
彼の雪合戦のスタートは職場の同僚の東部レイダース、高階祥平からの誘いだったみたいでイメージとしては「イッテQ」の雪合戦企画だったようで、全然余裕だなと思っていたようですが、彼の入ったチームは近年の北日本最強チームだったので、血の気が失せ、後悔したそうです。
「この人たち、めちゃくちゃお酒おごってくれるしいい人たちだなぁ」と考えていたら練習めちゃくちゃ厳しくて笑ってしまったと彼は遠い目で言っておりましたw

彼と私の雪合戦の師匠は東部レイダースの元キャプテンの高橋能史が雪合戦の師匠という共通点があります。
能史さんのことを語ると長くなるのでまた今度にしますが、私も勢耶も雪合戦だけではなく彼そのものを心酔している部分があり飲み会の後半は能史さんの技術や人柄をひたすら褒めあう気持ち悪い時間が続きました。(今書いていても気持ち悪い)

そんな能史さんも昔はへたくそで皆から馬鹿にされた時代のほうが長かったと勢耶から聞いた時には信じられませんでしたが、底辺の気持ちがわかるから、雪合戦人としてもキャプテンとしても誰からも慕われることができたと思う。
ずっとチームの中心にいた人間がキャプテンになるケースもあるが、やはり人として慕われてその人のために頑張りたいと思える人がキャプテンならどれだけ心強いことだろうか。
そして、転勤が決まってキャプテンを次に渡す潔さとチームを私物化せず今後も続く東部レイダースという生き物にまた新しい風を送ったことに改めて人間としての強さを感じました。
人間はやっぱり引き際よな。

そんなこんなで20時から0時過ぎくらいまで飲み明かして次の日はまたバスケの練習試合に向かいました。
審判しながら吐きそうでしたが大好きな雪合戦の話で心も体もリフレッシュできたのでよかったのではないでしょうか。

東部レイダースに関しては、言いたいことが山ほどあるので不定期で取り上げます!